千葉工業大学

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校章・スクールカラー

校章は、本学の創立直後の昭和17年、公募によって制定されました。
平成4年、創立50周年に伴い、工業デザイン学科(現:デザイン科学科)教員が細部を計測してバランスが整えられ、商標登録されました。
スクールカラーは「紫紺」です。(DIC-256をお使いください。)
校章の由来 ~『千葉工業大学50年史』より抜粋~

公募作品の選定に参加した松尾一郎【冶金学科(注1)1回生】は、その間の経緯を次のように語っている。
 
「開校当初は、決まった校章がなく、玉川学園のバッジを付けている者もいた(注2)。しかし、学生の中には、旧制高等学校、帝大のコースにあこがれ、浪人を繰り返した人も多く、それではとても満足できない。期せずして興亜工大(注3)にふさわしい校章を作ろうという気運が高まった。こうして15~20点ぐらいの作品が集まったが、なかなかこれを1つに絞ることができない。討論が殴り合いに発展することもあった。帝大派、私大派、玉川学園派の3派があったのである。そんなある日、私は、他の2人の友人とともに銀座に出掛けた。そして築地川沿いの喫茶店"門"に腰を落ちつけ、校章のデザインをひろげて話し合いを始めた。そこへ2階のギャラリーから降りてきた陶芸家と称する人物が、私が手にしていたデザイン(偶然ではあったが、後に大阪工大の校章となったものと同じデザイン)をのぞき込んで、次のようなことを述べた。"大の字がダラリと広がっているのは良くない。大学にふさわしい安定性がない。工と大で天地をなしているのだから、大は四本足にして工を支えるようにすればいい。また大の頭を少し工に組み込ませるようにすれば、もっと安定性が出るだろう"。結局、このときのヒントがもとになって校章の原案ができた。陶芸家の方のお名前は失念したが、たいへん有益な助言だったと感謝している。」
開校当初の空気を伝えるたいへん興味深いエピソードである。本学を象徴するものとして関係するすべての人に愛され、親しまれている校章は、こうして生まれた。
 
注1:学科名は当時のもの。
注2:本学は昭和17年5月、玉川学園内の施設を借用して発足した。
注3:千葉工業大学の前身「興亜工業大学」。この当時使われていた「興亜」という名前は抽象的な概念を示す言葉ではなく、政府機関もしくは国策に沿って作られた団体、行事などに冠された、国策的な名前だった。戦前の高等教育は圧倒的に官立優先だったが、本学が文部省から「興亜」という校名の使用を許可されたのは、単なる私立大学ではなく「国策に沿って創られた、官立に準じる工業大学」と見られていたためである。
※校章使用の際は入試広報担当までご連絡下さい。

校歌

千葉工業大学校歌

佐々木信綱 撰歌 / 朝永研一郎 作曲
  • (一)
    習志野は 若草もえて
    潮風に 匂へる希望
     見よ この大地 この青空を
    学びの野 はてなく広く
    真理の陽 燦と輝けり
     工大 工大 千葉工大

  • (二)
    わが国の 文化も富も
    興すべき 任務は重し
     見よ この気魄 この手力を
    高く立つ 誉れの旗へ
    溌剌と 吾ら進むべし
    工大 工大 千葉工大

  • (三)
    精励に いそしみ集ふ
    新しき 科学の使徒と
     見よ この師友 この学園を
    栄光の 門出の朝の
    日は昇る 大き海洋を
     工大 工大 千葉工大